菊田は脚本が遅いことで有名であったが、古関はそれによく応えた。昭和32年9月の公演は「泥棒大将」と「メナムの王妃」の二本立てであった。このときは舞台稽古の日に、舞踊シーンの一時間前に歌詞が渡された。

古関が編曲のオーケストラの楽譜を書いていると、菊田が「作曲は、どうしたッ!」と怒鳴った。これには温厚な古関も「そんなに早くできないよ。今、もらった原稿ですからね」といい返した。両者が言いあったのは、このときだけだったという。

とはいえ、戦前から流行歌づくりに苦労してきた古関にとって、菊田の誘いで舞台音楽での仕事が中心になったことが、渡りに船であった。ミュージカルなどの舞台音楽では、古関のクラシックの素養を生かすことができたのである。

 

古関裕而の名曲の数々を熱唱! 歌唱動画を配信中

『エール』モデルの作曲家の評伝、好評発売中

高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、阪神タイガースの「六甲おろし」ーーー戦前から数々のメロディを残す作曲者の人生を追った一冊。