大阪大学大学院経済学研究科教授・大竹文雄さん(右)と立命館アジア太平洋大学学長の読書家・出口治明さん(左)
労働の本質や富の蓄積、農業や製造業、商取引や銀行業、国家の政策や公共事業…などあらゆる事象を網羅的に論じ、経済学の基礎を築いたアダム・スミスの『国富論』。中公文庫『国富論』(全3巻)の新版刊行にあたって実現した、行動経済学者・大竹文雄さんと博覧強記の読書家・出口治明さんの対談の一部を連載でお届けします。見過ごされていた真の主張と指摘の数々は今の社会にも鋭く刺さります。

前回「社会システムは、悪用する人を相手に作ってはならない」はこちら

結果を変えるには、能力よりもインセンティブ

大竹 『国富論』を読んでいると、アダム・スミスが人間に対して強い信頼をおいていると非常に強く感じました。印象的だったのは奴隷についての話です。

《奴隷に発明の才があることはきわめて稀で、機械についてなり、仕事の段どりや配分についてなり、労働を容易にしたり短縮したりするもっとも重要な改良は、すべて自由民が工夫したものであった。》(第二篇第九章)

と最初に言い切っていて、ここだけ読むとすごく差別的な人ではないかと思います。しかし続く文章を読めば、それは違うとわかります。

《もしも奴隷がなんらかこの種の改良を申し出ても、主人はまず間違いなくこの提案を、怠けることの提案であり、主人の負担で自分の労働を少なくしたいという願望を暗に示すものだと受け取っただろう。このあわれな奴隷は、褒美をもらうどころか、おそらく怒鳴り飛ばされ、たぶんなんらかの罰を受けることになっただろう。》(同上)

奴隷が改良を提案しても、主人は奴隷が怠けようとしたのだと考える。成果に応じた給料を払っていないから、奴隷は改良や創意工夫をしないと思っているわけです。一方、自由人は改良したら利益が自分のものになるから一生懸命にやるだけだと書いています。ここで一番の原因とされているのは、インセンティブが欠けているということ。本来、人間の能力にはたいして差がなく、どんな報酬環境で仕事をするかで全く違ってくると言っているんです。

出口 社会環境、あるいは社会構造が奴隷をつくったり自由人を作ったりしている。地主も奴隷と同じで何にもしないというのも、同じ発想ですね。

大竹 はい。工夫しても仕方ないからという理由です。インセンティブを重視するという点では、現代の組織の経済学とか行動経済学の理論と共通していると思いました。

出口 僕の言葉で言えば、人間は《ちょぼちょぼ》です。《ちょぼちょぼ》の人間を上手に使おうと思ったら、インセンティブや社会構造を変えていかないといけない。その人の能力や責任の問題だといって、決めつけてはいけないんですね。

『国富論III』(アダム・スミス:著/大河内一男:監訳/中公文庫)