変化に対応できない人を守る国家の果たすべき役割

大竹 もうひとつ、印象的なテーマについてお話しましょう。企業による市場独占の問題を論じたところで、それなら一気に全部変えればいいのかというと、そんなことはない、急に変えると大変な問題が起きると指摘しています。植民地貿易も一気に全部開放したら大変なことが起こるから、少しずつ段階的に開放していこうと考えている。基本的には楽観的ですが、人間は対応するのに時間がかかるという現実的な指摘もありますね。

出口 イングランドの経験論の良き系譜を引いている感じがします。リアリズムがありますね。アダム・スミスは資本蓄積について考えるとき、人には支出性向や倹約性向があるといって人間の本質にまで遡って考えようとしていますが、そうやって理論的に考える人はともすれば、ハードランディングを志向しがちです。

ところが彼はラディカルに原点まで遡って考えると同時に、実際の政策についてはすごく漸進的です。人間はそんなに賢くないという人間観がベースになっているからでしょう。今までやってきたことを急に変えたら混乱が起こるから、時間軸をきちんととって少しずつ変えていかないといけないと考えています。

大竹 ただ、変化に対して人間は対応できるはずだという信念を持っていますね。たとえば、貿易自由化で職を失う人がでてきても、他の仕事で生計を立てられる、勤勉な労働者なら他の産業でも十分やっていけるという強い信念が感じられます。

出口 現実的には変化が生じた直後の影響が大きく、一時的な変化というのをどの程度の長さのスパンで計るかによってずいぶん違いますね。

大竹 そうですね。たとえば自由貿易を推進する人は、労働者は移動できるから時間がたてば別の仕事に就いて豊かになれるといいますが、楽観しすぎるのも良くない。たとえば現代のアメリカのある地域では中国からの貿易で製造業がすごく衰退した後、10年以上にわたって貧困に直面し、政治的にも大きな混乱が生じた。時間をかければ人間が対応できるからといって、国家が完全に放っておいていいということではありません。

出口 グローバリゼーションで世界が結びついている現代では、変化によるショックが大きくなった気がします。18世紀と現代のいちばんの違いは経済活動のスケールと移動のスピードだと思います。現代では、ニューヨーク市場の株価の暴落が一つの典型ですが、あっという間に世界中にその影響が及んでいきます。

時間をかけたらなんとかなるというのは、スケールの大きさにもある程度関係するようにも思います。人間にとって働き盛りなどの旬の時期は何十年もないわけです。その旬の時期を通して大きな混乱が生じていたら悲惨の一語に尽きます。だからダメージのスケールと人間の寿命のバランスをよく見て、政府が介入するしかないわけですね。

大竹 たぶん彼が今生きていたら、そういうことを書いたんじゃないでしょうか。『国富論』執筆当時に植民地を自由にすることのショックの大きさを十分予期していたから段階的にやりなさいと書いたのと同じように、短期間に強烈なショックが来るときには政府がそれに対応する政策をとらなければいけないという点を強調したでしょう。

出口 『国富論』は現代にもそのままあてはまる指摘が多くて面白いですね。今一度読み直して、アダム・スミスが本当に伝えたかったことを再発見していただきたいと思います。


※大竹文雄さんと出口治明さんの対談「アダム・スミスを誤解の海から解き放とう」は、2020年11月発売の中公文庫『国富論III』に収録されます。本連載の第2回、第3回の内容はWEBオリジナルです。

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