大阪大学大学院経済学研究科教授・大竹文雄さん(右)と立命館アジア太平洋大学学長の読書家・出口治明さん(左)
労働の本質や富の蓄積、農業や製造業、商取引や銀行業、国家の政策や公共事業…などあらゆる事象を網羅的に論じ、経済学の基礎を築いたアダム・スミスの『国富論』。中公文庫『国富論』(全3巻)の新版刊行にあたって実現した、行動経済学者・大竹文雄さんと博覧強記の読書家・出口治明さんの対談の一部を連載でお届けします。見過ごされていた真の主張と指摘の数々は今の社会にも鋭く刺さります。

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給料が一定だと、教師もサボる!?

出口 次は国家についての話をお聞きしたいと思います。『国富論』には国の事業として、国防、司法制度、公共事業と公共施設が重要であると書かれています。公共事業の中には教育が含まれている。このくだりも、国は「夜警国家」でいいという考え方とはまったく違いますね。

大竹 アダム・スミスは「政府は最低限のことだけすればいい」と言っていますが、教育はやはり大事だと指摘しています。そこはぜひとも「教育費を削減しろ」という人に読んでほしいところです。ただ、大学に対しては厳しいですね。彼がオックスフォード大学を中退したことが関係しているのかどうかはわかりませんが・・・・・・。

出口 どんなに立派な人でも痛い経験がある。とても人間らしいですね。僕はかえって、こんなに偉い人でも同じ人間やな、アダム・スミスは信頼できると思いました。

大竹 教師が直接授業料をとらないで一定額の給料をもらう場合、誰も授業料以上のことをやろうとしない。ある程度は成果に応じた賃金が払われないと皆サボるんだと、モラルハザードについて言及しています。人間をよく見ていますね。その典型が寄付金や資産がたくさんあったオックスフォード大学で、教師がまともに教えていないと批判している。やはりある程度の競争は必要で、頑張ったらそれに応じた報酬がもらえるようにしならなければいけないとも書いています。

もうひとつ面白いのは、誰が大学を経営するかという話です。出口さんと対応していると思ったんですが、教員が経営すると仲間内だから手を抜くことしか考えない。外部の人間だったらもう少しちゃんとできる、という話がありますね。立命館大学はそういうことも考えて出口さんを学長にしたのかなと。(笑)

『国富論Ⅱ』(アダム・スミス:著/大河内一男:監訳/中公文庫)