左から、玉川奈々福さん、重松清さん、神田蘭さん(撮影:木村直軌)
若手の台頭でイメージが刷新され、ブーム到来といわれる「講談」と「浪曲」。近年、客層の幅が広がるなか、女性演者の活躍が目立っています。語りの芸と、浪曲に新たな息を吹き込むプロデュース力が評価され第11回伊丹十三賞を受賞した浪曲師・玉川奈々福さん。歌や踊りも取り入れたレビュー講談や婚活講談など、オリジナル新作でも人気を博す講談師・神田蘭さん。古くて新しい話芸の魅力に、重松清さんが迫ります(構成=福永妙子 撮影=木村直軌)

<前編よりつづく

「女流」が演じる難しさは?

重松 実は、奈々福さん、蘭さん、それぞれのインタビュー記事で同じことをおっしゃっていてびっくりしたんです。最盛期に比べて演者さんが減るなか、今は男性よりも女性のほうが多いのだと。

奈々福 落語、講談は古くから、基本的に男性の芸だったんです。一方で、浪曲は江戸時代から女性が活躍していたんですよ。

 義太夫も江戸時代、女流が人気だったんですもんね。女義といってアイドル的な存在。(笑)

奈々福 大正時代は女流花盛り。「女流団」という女性だけの団体が大人気で、いくつもの女流団が地方をまわっていたそうです。女性の活躍の背景には、三味線弾きに女性がいることも大きかったでしょうね。私の所属する日本浪曲協会では浪曲師46人のうち、女性は33人です。

 奈々福おねえさんが言ったように、講談は男性の芸と思われていました。軍記物などを黒紋付姿で語るところから、男性のイメージだったんでしょうね。でも、私の所属する落語芸術協会の講談師は、今は16人中11人が女性です。

重松 もともと女性の活躍があった浪曲はともかく、講談で女性が増えてきたのはなぜでしょう。

 私の師匠は神田紅で、そのさらに師匠が二代目神田山陽。この大師匠が、講談を生き残らせるには女性から支持されなければ、という考え方だったらしいんです。女性が来るお店は流行る、の発想ですね。そこで大師匠は女性をたくさん入門させて育て、女性向けの講談をたくさんつくってやらせた。それが今につながっています。

重松 一門あげて、そういう流れをつくってきたわけですね。講談も浪曲も、演目のお題は義理人情や男性社会的なものが多い。女性が演じる難しさはありませんか。

奈々福 いいえ、それは感じていません。「国定忠治」をやるときは、もちろん男のなかの男というふうに演じますが、私にも女性のお客さまにも共有できるものはあるはず。男だろうが女だろうが、演じ方によってコントロールできると思っていますので。

重松 浪曲といえば、二代目広沢虎造(昭和時代の名人)の、低くうなるドスのきいた声のイメージがあります。

奈々福 浪曲は「一声、二節、三啖呵」と言われます。いちばん重視されるのが声で、次が節まわし、そして啖呵、つまり語りだと。「声を磨く」という言い方があります。のどの力ではなく、体で声を増幅させるので、「鳴る体をつくる」とも言われます。浪曲の伝統の技術を真似て、真似て、真似て、身体に移しとったうえで自分なりの新しいものをつくって勝負する、それしかないです。

重松 もともと男性の芸だったという講談ならではの大変さはありますか。

 声帯の太さと筋肉、これは男と女では違うし、私に男のような声は出せない。奈々福おねえさんと同じく、私なりの声を大事にして、育てていくしかないですね。でも、何を伝えたいか、私なりに物語を解釈して演じれば、私が女であろうが、お客さまには伝わると思います。