1976年、神宮球場で指揮する古関裕而(写真提供:古関正裕さん)

つくった甲斐がありました

そして、昭和39年10月10日の午後2時、晴れ渡る神宮外苑の国立競技場でオリンピック東京大会の開会式が開催された。「オリンピック・マーチ」の演奏が始まると、ギリシャを先頭に各国選手団が競技場へと入ってくる。

テレビ中継放送のNHKアナウンサー北出清五郎は、「心も浮き立つような古関裕而作曲のオリンピック・マーチが鳴り響きます。そしてオリンピック発祥の地、ライトブルーと白の国旗もすがすがしく、常にオリンピック入場行進の先頭に立つ栄光の国、オリンピックのふるさとギリシャの入場であります……」と、入場行進の模様を伝えた。

「オリンピック・マーチ」は、陸・海・空の自衛隊、皇宮警察、警視庁、神奈川県警など県警本部、東京消防庁の各音楽隊の総勢565人によって演奏された。古関は「自ら会心の作と自負する『オリンピック・マーチ』を聴きながら、選手団の入場行進を愛用の8ミリカメラで撮影していた」。長男正裕は「自分が、日本の戦後の復興の証しである一大国家イベントに参加出来た、ということに誇りと満足感を抱き、このイベントを自分の記録として残したかったのではないかと思う」と述べている。

古関にとって「オリンピック・マーチ」は自信作であった。古関は「この曲には苦心したが、会心の作だ」と語り、「つくった甲斐がありました」とも述べている。