なぜ、日本では女と子どもの美談ばかりなのか。「銃後の母」という言葉が、私の脳裏をかすめた。

こういうことが続けざまに報道されるのは、そういう美談が好きな層がいるからだろう。広告収入のためなのだろうか、ネット記事のクリック数や視聴率を稼ぐことが大義とされがちな現行のマスメディアにおいて、報じる意義があると送り手が信じるものより、「とにかく好まれそうなもの」が優先されるのは悲しい宿命だ。

私は戦中派の母から聞いた、千人針を思い出した。無駄とわかっていても、祈りを形にせずにはいられないのかと、母の話を聞いた私は心底悲しい気持ちになった。

これはちょっと、思っていたのと違うかもしれない。美談でコーティングされた女と子どもの善意は、根本的な問題や責任の所在を曖昧にし、その場しのぎの情緒を満足させるために消費されがちというだけではなかろうか。

銃後の母は、最前線の人間が強いられる無茶と必ずセットであることも絶対に忘れてはいけない。「いい話」の陰で、医療関係者が多くの犠牲を払っている。まったく美談ではない。


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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇