イラスト:川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は、コロナウィルスに関連したニュースのなかで、スーさんが違和感を覚えたことについて。それを「美談」と受け止めてよいのだろうかーー(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

美談でのコーティング

もう新型コロナウイルスの話は結構よ、とどこからともなく嘆きの声が聞こえてくる。すでに人々の記憶の隅に追いやられてしまったことも多々ある。忘れてはならないこともあったと、私は思うのだけれど。

1日の国内感染者数が250人を超え、政府が「3密」を唱え始めた3月。山梨県の女子中学生が、休校期間を利用して、600枚以上の手作りマスクを県に寄贈したことが話題になった。材料はお年玉貯金を切り崩して準備したという。

4月。欠航が相次ぐ航空会社のキャビンアテンダントたちが、医療用ガウンの縫製を手伝う案について首相がコメントした。

5月。福岡市の保育士たちが、医療用ガウンを手作りして病院に寄付した。宝塚市では、子どもの作ったポリ袋防護服が医師会に1400着も送られた。そのほか、全国各地の子どもたちが、3Dプリンタを使った手作りフェイスシールドを医療機関に寄贈したことなども続々と報じられた。

これらのニュースは、すべて美談の色を帯びていた。尊い行動を讃えましょう、というムードがあった。私はそれが薄気味悪くて仕方ない。理屈や知性より、情緒が先走り過ぎている。医学的、科学的な根拠があったとは思えない。緊急時、気持ちが知性を追い越していいことなんてなにもないのに。

それぞれが善意のもとに行動し、手作り品の性能を問うている時間もないほど、抜き差しならぬ状況だったことは理解できる。けれど、国の危機的状況において、感染状況や各国の方針、専門家の見解や政府の指針を精査する報道をさしおいて、女や子どもの無償労働(もしくは専門外の労働)を美しく報じる意味はどこにあったのか。保育士の性別は確認しかねるが、報道を見る限りは女性のみだった。

私が見た限り、海外のニュースでは、医療機関がマスクやガウンの寄付を広く募る報道や、中高生が考案したフェイスシールドを3Dプリンタで製造するニュースはあったものの、無償労働を暗に讃えたものは記憶にない。