「ホステスという仕事は私に向いているかも」
もとより自分を責めてしまいがちな私の中には、こんなにも人生が上手く行かないのは時代のせいばかりではない、自分が努力をしてこなかったからだという罪悪感がありました。そして、その罪悪感こそが「どんなに苦労をしてでも手に職をつけよう!」という前向き(?)な発想を生みだしてくれていたのです。
私が選んだのは調理師免許を取得するという道でした。母の友人が和菓子の事業を立ち上げるので一緒にやろうと誘ってくれたことに希望を見出し、服部栄養専門学校のテクニカルコースへ。ところが2年で調理師免許を取得し、いよいよ和食の事業をスタートさせるぞという時に母の友人が病気で亡くなってしまいます。ショックでした。内向的だった私の数少ない理解者の一人であり、ビジネスパートナーとして信頼していた人の死を受け入れることができなくて苦しかったです。
とはいえその後も働かなくてはいけません。もちろん自分のためなのですが、この頃は親をガッカリさせたくないという気持ちが強かったような気がします。世間体、気にしていました。いろいろ考えた末に調理師免許を活かすべく、和菓子工場で働くことにしました。
最初は来る日も来る日も餡を練っていたのですが、やがて季節のお菓子の下ごしらえをさせてもらえるようになり、重労働でも充実していた時期はありました。でもその気持ちが長く続くことはなく、私は先輩達がコンテストに出品する和菓子のことに夢中になっているのを尻目に「早く家に帰って『水戸黄門』を観たい!」とか思っていたりして。要はやる気スイッチが入っていない状態だったのです。
その一方で、専門学校時代、研修旅行に行くための資金作りとしてやってみたホステスのバイトは思いのほか楽しかった。あれは23歳の夏のこと。銀座のクラブ街へ行けばどうにかなると思って昼下がりの銀座をウロウロしていたら、本当にスカウトマンから声をかけられてノコノコと喫茶店についていき(真似はしないでください。キケンです)、気づけば銀座のクラブでヘルプのバイトをしていたという……。
手っ取り早く稼げそうだというだけの理由で始めたホステスのバイトでしたが、気づくのです。「ホステスという仕事は私に向いているかも」と。店のママからも「アンタはホステスとしての才能がある」と言われていたのです。が、またもや親の顔や世間体がちらついて、プロのホステスとしてやっていく決意を固めることができませんでした。