私はきっと「職業的ド変態」
どうやって生きて行ったらいいのだろう? と暗礁に乗り上げて悶々と過ごす私の脳裏にチラチラと浮かんでいたのは、17歳の頃に漫画で知ったエンバーマー(遺体衛生保全士)という仕事でした。ご遺体を生前の元気だった頃の姿に近づけるエンバーマーのことを思い出したのは、母の友人の死を通じて死生観について思いを巡らせていたからでしょう。それともう一つ、これは今だから言えることなのですが、私はきっと「職業的ド変態」なのです(笑)。
人がイヤがることをあえて仕事にしたいというような願望があって、苦しいことがあっても、誰かに後ろ指を指されたとしても、まぁお金が入って来るのだから良しとするかと、割り切っていられる。もしかしたら、こうした私の中の職業的変態性みたいなものが生きていく上での最大の強みだったのではないか? と自己分析しているのですが、それに気づくのに10年以上かかりました。
当時は自分にできそうな仕事、長く続けていけそうな仕事、夢中になれそうな仕事を探すのに必死だったのです。漫画を読んで「私もやってみたい!」という願望を抱き、死体が怖くないであろうと勝手に予想していた自分にとって、エンバーマーは天職に違いないと20代半ばになっていた私は思いました。
そこで自宅近くの公益社に連絡をして「保全士になるためにはどうしたらよいのでしょうか?」と問い合わせたところ、係の人が「神奈川県平塚市に日本ヒューマンセレモニーという専門学校があって、そこで資格を取得することができる」と教えてくれたのです。さっそく願書を取り寄せ、親に頼んで学費を出してもらうことに。ここから2年間、私は保全士になるための勉学に励みます。
それにしてもホステスにエンバーマーと、立派な仕事とはいえどうしてこうも親が期待しないところにばかり気持ちがいくのだろうか? というのが当時の悩みと言えば悩みでした。その実、エンバーマーの漫画を読んで感動を覚えた17歳の時点で、自分が親の期待には添えない人間であることはわかっていた気がします。
自分は内気だとばかり思っていたのですが、それは私の中のA面なのだと気づいたのもこの頃。ヒョイと裏返したB面には、「どうにかなるさ」「やっちゃえ、やっちゃえ」と自棄(やけ)にふてぶてしい別人格が潜んでいることがわかってきて、人間というのは実に奥深い生き物だと感嘆したりしていました。