秘められた義母の思い出は

父や母を慰めながらの報告は胸が痛んだけれど、しばらく経ったある日、私は別のところで「本当の宝物」を知ることになる。自宅の引き出しを片づけようとして、夫の母親の遺品を整理している時に、輪ゴムで縛られたハガキの束が出てきた。どれも同じ男性から送られており、その分厚さがやり取りを交わした年月の長さを感じさせる。

それから、新聞の切り抜き。そこには男性の全身写真が掲載されている。大きくなる鼓動を感じながら顔を見てみると……義父にそっくり。慌てて夫に伝えたら、「嫌だ。そんなの見たくない」と取り合おうともしない。

義母が亡くなった直後、彼女の姉が私に話してくれたことを思い出した。独身時代、義母はある男性と恋に落ちたが、相手の親に反対され破局。その後、男性に似た容姿を持つ義父と見合い結婚をしたそうだ。引き裂かれた思い人の存在を、瓜二つの義父に重ねたのだろうか。義父母は犬猿の仲だったけれど、義母が切り抜きの写真を手放さず眺め、文通で心を潤わせていたかと思うと興味深い。ハガキの束は、義母の命の燃料だったのである。

彼女は亡くなる前の25年間、5回もがんの手術をした。いつ死んでもおかしくない日々の中、「調子がいい時もあるから、まだ大丈夫」と信じたまま、大切なモノを残して逝ったのだ。

義母は恋愛経験のない人だとばかり思っていた。本人が私に「オシャレの仕方もわからないし、全然モテなかったのよ」とよく話していたのを、信じていたのである。だからこそ、彼女にも幸せな青春時代があったと知り、救われた気がした。ハガキの男性が、私を嬉しい気持ちにしてくれたのだ。

若かりし頃の恋心。ほろ苦い別れ。健康だった日々。人生の年の瀬では、そうした記憶があれば十分。懐かしく愛おしい思い出こそ、本当の宝物と言うべきなのだろう。


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