「狂言では、さまざまな役割を引き受けます。裏方として幕を揚げる時も、全力でやります」(三宅藤九郎さん)

激しくやり合ってでも和解の道を探る

藤九郎さんが語ってくれたのは、狂言という舞台の特性。そこにも和泉家の家族が《丸く収まる秘訣》があるという。「狂言では、さまざまな役割を、演目ごとにかわるがわる引き受けます。自分が主役の太郎冠者を演じる時も、裏方として幕を揚げる時も、全力でやります」と、藤九郎さん。どんな役割でも真摯にこなすことで、相手の立場もわかるのだろう。

そして毎日稽古で顔を合わせていることも、家族間にわだかまりを作らない秘訣なのかもしれない。淳子さんの長女・慶子さんも淳子さんに対して、「何か嫌なことがあったら、翌日も稽古があるので、直接1対1でドンとぶつかって、その日のうちに話し合って解決するようにしています」と語る。

節子さんと淳子さん、藤九郎さんも、わだかまりを抱えて黙っていることはせず、激しくやり合ってでも和解の道を探るという。淳子さん曰く「母は受け止めて、許して、流すことができる人。不器用そうに見えて器用なのかもしれません。太刀打ちできないと思いますね」とのこと。最年少・中1の和秀さんも、祖母の節子さんに対し「とにかく元気。明るくて優しい人」と全幅の信頼を寄せている。

亡き父・元秀さんも、和泉家が心を一つにする要となる存在だ。藤九郎さんは父について、「『女に稽古をつけるなんて』という時代に私たちプロの女性狂言師を初めて育ててくれました。感謝しかありません。だから女性狂言師が『初』という時代から『当たり前』と思われる時代へと、私たちの世代で開拓しなくてはいけない。頑張り甲斐があるなぁと思います」

今回のコロナ禍は伝統芸能にも大打撃を与え、和泉家の狂言の公演も、ことごとくキャンセルになった。しかし、和泉流宗家にとって、狂言は商業ではなく、命の次に大切な《務め》と皆が捉え、稽古を続けてきた。

淳子さんはコロナ禍を振り返り、「守るべきものを持てて、今生きていることが幸せだと感じました。1000年先、2000年先を信じて暮らしていくことができる。一代限りではなく、未来に自分が残すものがあるという喜びが、強さになりました」と熱い思いを語った。

誰もがストレスを感じた自粛期間でも、守るものがある人たちは強い。そして和泉一家の「底抜けの明るさ」は「狂言という笑劇」にふさわしい。自分も日常に「笑い」を取り入れ、飾らない心で家族と対話をしていきたいと感じた。

神田明神内の舞台で、狂言「附子(ぶす)」の一節を演じる元彌さん、淳子さん、三宅藤九郎さん