デリダの哲学の実践
そのデリダという哲学者は、言葉は単なる記号ではなく、つねに「エクリチュール」(文字)という身体をもっているのだと言いました。誤配は身体なしには起こりません。にもかかわらず、ぼくたちはともすれば身体の存在を忘れてしまう。たとえば書籍は物体であり、じっさいに書籍を買うとき、ぼくたちはその物体に対してお金を払っている。けれども、なぜか本の話をするときは中身の情報の話ばかりしてしまいがちです。人間にはそういう傾向があり、危険だよとデリダは言っていたのですが、ぼくのゲンロンでの仕事はまさにその教えに導かれているようなところがあります。
とはいえ、ぼくはけっしてオンラインのコミュニケーションを全否定しているわけでもないのです。むしろ現実には、ビジネスとしては圧倒的にオンラインに頼っている。カフェの収益のほとんど(コロナ禍以降はすべて)はオンライン配信での売り上げですし、いまはオンラインの新たなサービスまで開発しています。そこがゲンロンが誤解を受けやすいところなのかもしれません。
ではそのふたつの態度はどうつながるのか。ぼくはじつは、大事なのは、オンラインの誤配なきコミュニケーションを、どうやって効果的に「オフラインへの入り口」=「誤配の入り口」に変貌させていくかという問題意識だと考えているのです。