けっこう苦労したという認識がある
大久保 昔から、そういう感じなの?
遠野 子どもの頃は、今より明るかったです。サッカーもやっていましたし、人を笑わせたり、変顔をしたりもしていました。でも今思えば、とりあえずまわりの人と仲良くしておいたほうがいいんだろうなという考えによるものだったかもしれません。
大久保 じゃあ、名声を得て、チヤホヤされるのもイヤですよね?
遠野 何もないと寂しいと思うので、少しはチヤホヤしてもらったほうがいいかもしれません。
大久保 そうですよ。ところで、小説はいつから書いているんですか?
遠野 21歳ぐらいです。6年目にやっと『改良』で文藝賞を受賞しました。2作目で芥川賞をとったので、すぐに世に出たと思われがちですが、自分としてはけっこう苦労したという認識があります。
大久保 6年の間、才能がないからやめようかなと思ったことは?
遠野 なかったですね。無駄に根拠のない自信があって。新人賞に応募するごとに、1次選考通過、2次選考通過と1つずつ上がっていってはいたので、続けていればいつか受賞するかなと──。大久保さんは芸人を目指したところから、すぐに世に出られたんですか?
大久保 幼なじみだった光浦(靖子)さんから大学のお笑いサークルに誘われて、「オアシズ」を結成しまして。卒業する時に22歳で今の事務所のオーディションを受けたら、するっと合格しちゃったんですよ。当時は女性コンビも珍しかったし、ブスとブスという組み合わせもいなかったから、一度はバッと注目を浴びたんです。
遠野 なるほど。
大久保 その後、相方はテレビ番組のレギュラーが決まったけれど私は選ばれず。でも私も、これで終わる人間じゃないっていう根拠のない自信があったんだよね。だから下北沢で劇団をやったりして、業界の近くに身をおきつつ20代を過ごしていたら、30歳で『めちゃ×2イケてるッ!』のレギュラーになれたんです。
遠野 子どもの頃から人を笑わせるのが好きだったんですか?
大久保 笑わせるというか、人気者になりたいのかも。かわいかったらマスコットガール的なポジションもあるけど、私はそうじゃない。自分を落として面白いことを言うと、まわりがついてくるというのは、小・中学校の頃から気づいていたんだろうな。そういえば『破局』に、芸人を目指している友人が出てきましたよね。
遠野 はい。もともとお笑いが好きで、ネタ番組やコントを参考に小説を書いているところもあります。