不自由さや抑圧が創作のエネルギーに

しかし、そんな私のエネルギー枯渇を案じ、調理用の炎や栄養分を提供してくれる友人という存在の尊さに気がつけたのも、移動を断たれたおかげである。この数ヵ月、私は一体どれだけの映画を観たかしれないが、その多くは友人たちから提供されたり勧められたりしたものだ。

彼らのおかげで面白い本にもたくさん出合うことができたし、昆虫好きの友人からは珍しい昆虫の標本が送られてくる。移動さえしていれば直視せずに済んだ深刻な問題と向き合わされて落ち込めば、それを支えてくれる人がいる。

『たちどまって考える』というタイトルの新書を秋に出したばかりだが、常に猪突猛進で脇目も振らずに移動ばかりを繰り返していたら、彼らの存在をここまで尊いものだと感じることもなかったかもしれない。創作を生業とする人というのは、普段はわりと皆自分勝手で、群れへの帰属を嫌うが、いざという時には精神面で繋がる力が発揮されるものなのだ。

ちなみに、友人の一人によれば「今のあなたは牢獄に収監されているのと同じ」であり、自分はそんな私に差し入れを提供する面会者なのだと言って笑っていた。そういえば、実際に長きにわたる収監の期間に膨大な量の本を読んだことがきっかけとなって、作家になった人もいる。創作を生業とする人には、こうした不自由さや抑圧も、苦しいとはいえ、その後、役に立つエネルギーに転換されるのだと思えばいい。

考えてみたら貧乏だった画学生時代も経済的自由を断たれた収監者みたいなものだったが、あの時も、自分の周りの知識人や芸術家から教えてもらった本、映画で自分の生命力を繋いできたようなものだった。

パンデミックによる生活の変化はつらいけど、この経験は確実に自分にとってかけがえのない糧にはなる。そう思えばもう少しくらいは頑張れそうだ。