六代目神田伯山「令和の時代にも二代目山陽は生きています」(撮影:栗原 論)

「自分だけで終わればいい」とは傲慢な考えだ

五十年以上前の、ある講談師の映像が残っていました。テレビのインタビューです。「今の講談師のなかには、お客に媚(こ)びた読み方をする者がいる。ああいうものがいいとは思わない。昔の講釈、本格の講釈。それが後世に伝わるべきだ。しかしそういうものは流行らない。だから弟子はとらない。私の代で終わりでいい」

こんな内容でした。尊敬すべき名人ではありますが、もう亡くなっているその方に、ありとあらゆる怒りを覚えました。「自分だけで終わればいい」という傲慢な考えを、上の人に恩をうけながら、よくできるものだと。

『桂馬の高跳び』に書かれているとおり、素人時代から聞楽亭(ぶんらくてい)の再建に尽力し、プロの講談師として活躍した二代目に、そんな考えはありません。

日本講談協会のみに絞っても、現・総領弟子の師匠神田松鯉(しょうり)を筆頭に、愛山(あいざん)、陽子、紫、紅(くれない)、茜、昌味(まさみ)。そして、松鯉一門の孫弟子や預かり弟子である三代目山陽、鯉風(りふう)、山吹(やまぶき)、阿久鯉(あぐり)、鯉栄(りえい)、伯山。さらには陽子一門、預かり弟子の京子、紅一門の蘭、その他にも複数の二ツ目と前座がいます。そのうえ、講談協会の神田派の先生や孫弟子を足すと、さらに信じられない人数を育てたことになります。

もし大師匠がいなければ、これらの講談師は存在していない。そんな令和の講談界など、考えるのも恐ろしいと思います。

二代目神田山陽の襲名披露宴。「左から評論家の正岡容氏、神田松鯉、邑井貞吉、私、石村匡正氏(初代・山陽の遺児)」(『桂馬の高跳び』より)