毒母に鍛え抜かれた忍耐力で耐え抜くも
自分の選択だから、結婚は運のせいとばかりは言えないだろう。だがそこに至る道筋を振り返ってみると、やはり自分ではどうしようもない生い立ちが絡んでいる。結婚のハズレくじを引いたのは、運ではなく運命なのだろう。
それまでの人生がアタリであったなら、すぐに別れて当然の相手だが、帰るところのない境遇ゆえ、毒母に鍛え抜かれた忍耐力で耐え抜いた。親を3人見送り、娘3人も次々結婚して巣立つ。
数年前、娘の里帰り出産で2人目の孫が生まれた1週間後。夫のいつものモラハラについに堪忍袋の緒が音を立てて切れ、私のほうから熟年離婚に舵を切った。いつか夫も変わるかもという一縷の望みに懸けていたが、このモラハラは一生続くとハッキリわかったのだ。
夫はひとりっ子で両親の遺産を独占したにもかかわらず、趣味三昧で使いきり、財産分与は微々たるものだった。家ナシ、友ナシ、仕事ナシの新生活を余儀なくされたの私。
だが、毒母を反面教師として自由をモットーに育てたおかげで娘たちは立派に自立し、いずれもフェミニストのパートナーをゲットし幸せそう。そしてコロナ禍直前に滑り込みセーフでモラハラ夫と縁が切れたことは、なんと幸運だっただろう。
離婚して出かけた吉方旅行では、思いがけない青空がまぶしく広がっていた。
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