350万人は、自由も財産もない黒人奴隷
南北戦争の原因とは、よく知られるように黒人奴隷制度の是非です。
温暖湿潤で農業に極めて適した米南部の地には、当時見渡す限りの綿花プランテーションが広がっていました。綿紡績業は鉄道や鉄鋼業と並ぶ、18~19世紀の産業革命の立役者となった産業の一つでした。
綿花は、当時の白人文明圏で作れば作るだけ売れた高級産品で、かつそれは寒冷なヨーロッパでは育たない作物でもあったので、米南部には莫大な富が流れ込むことになります。そして、南部人たちはその広大な綿花プランテーションをより効率的に運営していくため、自分たちの地にアフリカからの黒人奴隷を導入していくことになるのです。
南北戦争開戦前夜、米南部には約900万の人口がありましたが、そのうちの350万人は、自由も財産もない黒人奴隷でした。
一方のアメリカ北部は、南部に比べ寒冷な気候風土を持つ地域で、綿花の栽培などには適していませんでした。黒人奴隷を必要とするような産業もなく、自営農業や商工業によって、人々の生活は支えられていました。
しかし1789年に始まったフランス革命以降、奴隷制廃止はヨーロッパのトレンドになっていきます。実際に19世紀半ばごろまでに、イギリスやフランス、プロイセンなどで奴隷制は禁止されており、南北戦争前夜の白人文明圏において、アメリカとは国レベルで奴隷制を廃止していない、珍しい国家になっていました。