奴隷制の存続の可否を問う選挙の結果は…
1860年の大統領選は、このアメリカにおける奴隷制の存続の可否を問う選挙なのだと、多くのアメリカ人には思われていました。共和党は1854年に結成された当時の新党でしたが、結党当初から明確に「奴隷制反対」を打ち出しており、北部を主な支持基盤にしていました。
一方の民主党は、1828年に結成された、全国に基盤を持つ政党でしたが、伝統的に南部の奴隷農園主たちから多くの支持を集めていました。選挙を前にして民主党は北部民主党と南部民主党に分裂。ほぼ自滅のような形で大統領選に敗れます。
南部民主党は、奴隷制反対を唱える共和党の大統領(リンカーン)が誕生したという事実を受け入れようとしませんでした。1860年の12月から、サウスカロライナ州を皮切りとし、南部民主党が支持基盤とする南部諸州が次々と「合衆国から脱退する」といって「独立」を宣言していきます。そして、1861年4月12日、サウスカロライナ州サムター要塞での軍事衝突から、南北戦争は始まります。
内戦は丸4年にわたって続き、南部の敗北に終わります。その戦いの中で、約60万人もの人々が命を落としました。なお、アメリカが第2次世界大戦で出した戦死者数は40万人、ベトナム戦争では5万人ほどでしたので、南北戦争とは実はアメリカが経験した「史上最大の戦争」でもあり、アメリカ人たちにとってのインパクトも絶大でした。
独立戦争によって大英帝国を退け、自由と民主主義に立脚した「人類の理想の国家」として生まれたはずのアメリカ合衆国が、内部の人種問題の結果に分裂し、史上最大の戦死者を出したというその事実は、多くのアメリカ人の心に強い衝撃を与え、深い傷をも残したのです。