京都府京都市にある光秀の首塚(左)と胴塚(右)

明智一族の最期

6月14日、羽柴軍は明智秀満(演:間宮祥太朗)の立て籠る坂本城に殺到した。当初秀満は安土城に詰めていたが、琵琶湖の対岸の坂本へ移動していた。

秀満は合戦の敗北から明智氏の滅亡を悟り、光秀が蒐集していた名物、黄金を秀吉方へ譲渡した。そして秀満は、光秀の子息、婦女子を殺害し、城の「天主」に火を放って切腹した。明智一族は蒐集した名物を冥土への道連れにするのではなく、後世の武将たちに託したことになる。

坂本城跡(滋賀県大津市)

光秀の重臣の斎藤利三(演:須藤貴匡)は、湖西路を北上して逃げていた。しかし、坂本の北の堅田で生け捕られた。彼は「たつな」(ふんどし)のみで、子息2名と逃げていたが、その場で子息2名は首を取られ、利三のみは生け捕りとなった。彼は縄をかけられ、京都において車で引き回され、六条河原で首を斬られた。光秀とともに首が晒されたという。6月23日には、光秀・利三の首塚が粟田口村の東路次の北側に築かれた。

丹波でも明智氏「家中」の討伐は進んだ。福知山城の留守居だった秀満の父親は、やはり生け捕りとなり、6月29日に京都へ連行された。そして7月2日、市中引き回しの上、光秀・利三の首塚の前で磔となっている。

かくして、織田権力を支えつつも、信長を自害に追いやった明智光秀の一族は滅亡したのである。