勝負をかけ、30歳で独立
美空ひばりさんに憧れ、1964年にプロ歌手に。「松山まさる」の名でレコードデビューし、その後、2度芸名を変えるも、ヒット曲に恵まれることなく6年が経過。転機となったのが、『全日本歌謡選手権』(日本テレビ系)での10週勝ち抜き。審査員だった山口洋子さんにスカウトされ、71年、「五木ひろし」として再デビューした。その1曲目「よこはま・たそがれ」は大ヒットとなる。
「よこはま・たそがれ」はじめ、山口洋子さんには僕の歌の作詞家として、またプロデューサーとして、大変お世話になりました。さらに、僕の歌手人生で「五木ひろし」としての再デビューのほかに大きな転機があったとしたら、その山口さんのもとを離れ、当時の事務所からも独立したことでしょう。歌手として、僕は自分の音楽の幅をもっと広げたかった。山口洋子さんが作詞・プロデュースする以外の作品も、いろいろ歌ってみたい思いがあったんですね。
育ててくれた恩人に背を向ける行為として、世間から冷たい目で見られるかもしれない。失敗すれば「ほら見たことか」と叩かれるだろう。でも、人生では勝負も必要です。今よりもっと自分が成長するためにはこうするしかない、そう覚悟を決め、独立をしたのは30歳のときでした。
それまでは人が敷いてくれた線路の上を歩いていくだけでよかった。けれど、自立の道を選んだからには、自分で方向性を決め、線路も道も一から自分で作らなければいけない。すべての責任は自分にある。でも、それはチャンスでもあるのです。チャンスを得たからにはてっぺんを目指したいし、そこに手が届いたのなら、ずっとトップで走り切りたい。そんな強い思いで今日までやってきました。
コロナ禍以前は、1ヵ月公演が1年に5回、稽古を含めて7ヵ月がそれに費やされ、あとの4ヵ月はコンサートやテレビ出演――そんなハードなスケジュールをずっとこなしてきました。ベストな状態で歌えるように、常に体調管理にも気を使っています。
歌手はアスリートと同じです。ですから生活は規則正しいですよ。睡眠時間を確保するためには何時に寝て、何時に起き、ウォーミングアップのために何時にこれをやる、といったルーティンがあり、それはずっと変えていません。
舞台やコンサートの楽屋入りは誰よりも早く、2時間前には、ひとりステージに立ち、30分ほど歌います。声を出せば、その日の調子もわかる。少しでも「ん?」と首をかしげるような状態のときも、自分のなかには対処の仕方があります。こうしたルーティンがあって初めて、初日から千秋楽までの1ヵ月間を同じように、しっかり務めることができるんですね。
これ、努力というより、自分のためなんです。「今日も調子がいいぞ」となれば、自分が嬉しい。自分が気持ちいいからこそ、お客さまにも気持ちよさを伝えられると思うんですよ。ただ、気の毒なのはスタッフですね。本当はもっと遅く来てもいいのに、僕につき合うはめになっちゃって。(笑)
10代でこの世界に入った僕も70代。歳をとることは止められません。けれど、努力によって維持できるものはあります。たとえば体形、体重です。僕は毎日、体重計に乗り、カレンダーに記録しています。ずっと続けているので、自分の適正体重もわかる。増えていれば、もとに戻すべく運動や食事で調整するというわけです。
運動といっても、ジムでストイックにあれこれやって鍛える、というのではなく、うちでできる自分流のストレッチや腹筋などですね。その習慣のおかげか、スーツのサイズは若い頃から変わりません。