味をしめた私は、一人でいる時に、色々なものを読み上げてみたのです。小説を読む時は、感情を込めて女優風に。新聞チラシは、テレビショッピングの司会者風に。

そんなことをしていると、ふと我に返って「いとものぐるほし」などと思うのですが、誰も見ていないので気にしない。そこで思い出したのは、

「そういえば子供の頃、朗読が好きだったっけ」

ということでした。

国語の授業は得意ではなく、というよりむしろ嫌いだったけれど、朗読だけは好きだった。「主人公の気持ちを考える」とか「漢字を覚える」といった作業とは異なり、声に出して読むということがスポーツのように感じられたからではないのか。

‥‥などと思い返していると、朗読もまた私にとっては、子供還りの一種。

「そんなわけでさ、最近は朗読せずにいられないのよね」

とバドミントン中に友人に語っていたら、

「それってもう、おばあちゃんじゃん!」

と彼女。

「うちの祖母も、よく一人で声出して新聞読んでたもん。あなたも注意しなさいよ〜」

と言われると、御説ごもっとも。子供還りとは高齢者ライフの先取りなのかもしれず、くれぐれも誰かがいる時、声高らかに朗読を始めないように、気をつけようと思っている次第です。

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●酒井順子/作家・エッセイスト
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。現在、大手小町で中華愛を綴るエッセイ「ずっと中華が好きだった」を連載中


「大手小町」で連載中!
酒井順子の「食」エッセイ「ずっと中華が好きだった」

小籠包から漏れ出るスープ、黒酢に浮かぶ油に「萌え」
北京ダックのように輝く子豚の丸焼きがもたらす祝祭感
お色気満点な餃子の皮、そのおいしさを分かち合う
など