2021年の節分は、124年ぶりに2月2日となった。最近は、従来の「豆まき」だけでない「しきたり」も脚光を浴びている。宗教学者の島田裕巳さんは、節分の「しきたり」の変遷について追っている。(写真提供:写真AC)

※本稿は、島田裕巳著『神社で拍手を打つな! 日本の「しきたり」のウソ・ホント』(中公新書ラクレ)の一部を、再編集したものです。

平安時代から宮中で行われてきた「節分」

年中行事は、毎年めぐってくる特定の日に、その日にちなんだしきたりを実行に移すものである。新年のはじまりからあげてみれば、初詣(はつもうで)、年玉、七草粥(ななくさがゆ)、節分などが、しきたりとして頭に浮かんでくる。

中でも節分は古い年中行事だ。

「節分といえば2月3日」だと思っている人も多いが、実は年によって変わり、2月4日のこともあれば、2月2日のこともある。

節分は、中国から伝わり、平安時代から宮中で行われてきた。

立春の前日の行事であり、新しい春の訪れを前に、邪気や鬼を祓うものとされてきた。だから、「鬼は外、福は内」と言いながら豆を撒く。このしきたりは、すでに室町時代の文書に記されていた。

節分には、柊(ひいらぎ)の小枝に鰯(いわし)の頭を刺して戸口に挿すというしきたりもある。これも平安時代からのもので、広まったのは江戸時代になってからである。「鰯の頭も信心から」という言い方は、ここから生まれた。

河竹黙阿弥作の歌舞伎の演目に『三人吉三(きちさ)廓初買(くるわのはつがい)』があるが、そのなかに、お嬢吉三が、「思いがけねえこの百両 月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空」と名調子で言う場面がある。そのとき、遠くから「おん厄払いましょう。厄おとし」という声が聞こえてくる。江戸時代には、そのように言いながら厄落としを請け負う商売があった。