佐藤内閣、田中角栄内閣、中曽根内閣と飛ばし飛ばしに見ても、印象は変わらない。写真だとよくわかるが、何代か前のなんとか大臣がのちの総理大臣になるパターンばかりだ。トコロテン方式で、おじいさんたちが代わりばんこにバトンを渡している。

初めての女性閣僚の登場は、昭和35年と思ったより早い。私の記憶には、平成元年の第一次海部内閣が強く残っている。言わずと知れたバブル時代。前任が女性スキャンダルで辞任したため後任となった森山眞弓と、初の民間人女性閣僚である元毎日新聞記者の高原須美子。森山は女性初の官房長官でもあるが、以降、現時点まで女性がこの座についたことはない。

女性閣僚数の最高値は、平成13年4月発足の第一次小泉内閣の5人。いま振り返ると、新時代のワクワク感を演出する装置に使われた気がしなくもない。小泉内閣は第三次まであるが、女性は2人に減っている。

第一次小泉内閣を除けば、まるで規定人数があるかのように女性閣僚の数はほぼ1人か2人。ここまでくると、功績や能力で選ばれているのではなかろうことが嫌でもわかる。トコロテン方式の流れには、誰一人乗っていない。総議員の女性比率を考えればこうなるのは仕方がない、とは思いたくない。国民の半分は女なのだから。上から変えていかないでどうする。

心底くやしい。私は傷ついてもいる。こういうもんだと、なんの疑問も抱かなかった過去の自分にも腹が立つし、諸外国の政府の写真を見れば虚しさが募る。一足飛びに北欧レベルまでとは言わないが、後退すら感じる重い空気はどうにかならないのか。

選挙権を得て以降、私はほとんどの選挙で投票した。その結果がこれだと思うとやるせない。市井に目を向ければ、約半分の女たちが雇用の調整弁となる非正規雇用だ。女たちは上から下まで、出世のトコロテン方式から見放されている。つまり、声は届きづらい。

正攻法ではダメだとは思いたくないのだが、それは甘えなのだろうか。答えはまだ出ていない。


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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇