提訴後は、子どもたちが大きくなったこともあり、嫌がらせは幾分やんだ。被告側は、社会的信用のある職業に就いている人ばかり。なぜ松本さんの考える常識が彼らに通じなかったのだろうか。

豊福弁護士は、「子どもを道路で遊ばせて何が悪いのか、騒音は大人が我慢すればよい」という相手側の主張にも一理あるとしつつも、次のように話す。

「話し合いを持ち掛けたのに理性的に対応せず、最初からスクラムを組んで応じなかった。集団ヒステリーともいうべき状態に陥っていたのではないでしょうか。異質のものを排除することで結束する、同調圧力が不幸な形で出てきたケースです。現在の《コロナフォビア》と呼ばれるコロナ感染者へのバッシングや、《自粛警察》の出現と共通しています」

では、近所とどのようなつきあいをしたらよかったのだろう。「静かにしてほしい」と言わずに我慢していたら、ご近所と円満にできたのか。松本さんは今もわからずにいる。

 

自宅が安らぎの場になる日は

いよいよ2月後半には判決が出る。その時、松本さんの心に安らぎは戻るだろうか。もし転居していたら、これほどこじれず問題は解消したように思えるが、8年もの間、その場から逃れようと思ったことはないのだろうか。

「引っ越したかったですよ。でもずっと転勤族でしたので、転居にどれだけお金がかかるかわかっています。息子の教育費もかかるし、この家と新しい家の二重ローンを抱えたら生活が破綻する。だから断念したのです」

転居しない理由はもう一つあるという。近隣の住民とは対立したが、それ以外の地区の人々とは着実につながりを築いているからだ。

「このコロナ禍でパートの仕事も減り、親しい友人と外で集まることも我慢する日々。でも読み聞かせのボランティア仲間や趣味のガーデニングの友達などがたくさんいるから、自分なりの貴重なコミュニティを失いたくありません。判決に期待しています」

マイホームには誰もが夢を持って入居する。しかし生活のスタイルや考え方がそれぞれ違うことで起こった、今回の悲劇。今後、どこでも起こりうるのではないだろうか。
 

※編集部注:取材後の2月24日、原告側(松本さん側)の要求が認められる判決が下された