東京営業所で訓練を受ける一期生(『日本航空一期生』より)

記者たちも駆けつけた二次試験の面接

さて、日本航空のエアガールの一次審査は書類審査で、二次審査の面接は8月7日と政子は伝えられた。このエアガールという和製英語は当初のみで、これはすぐに当時、世界的に通用したスチュワーデスという呼称に変わった。

書類審査合格の通知をもらい、伊丹政子が二次試験に出向いたのは丸の内にある日本工業倶楽部だった。

志願者1300名のなかから二次試験に進んだのは、英会話ができて、容姿、教養とも満点と自負する自薦他薦の女性たち168名だった。

四コマ漫画になるほど、マスコミの話題をさらっているスチュワーデスの二次試験は面接である。会場は華やかな雰囲気で満たされ、30名を越える記者たちも駆けつけていた。

英語で面接するのはJDAC支配人ポール・ラストンとパン・アメリカン航空支配人夫人だった。

伊丹政子は英語に自信はなかった。聖心女子学院の英語科ではマザーたちから教えてもらっていたが、戦時中は敵性語として英語を学ぶことが禁止されていた。英語は知っているものの、流暢な会話はできない。でも面接での観光問答ぐらいはこなすことができた。この時代に育って、女性で英語がしゃべれるなんてごくごく特殊な人たちであると、政子は達観していた。

日本語で面接したのは、日本航空社長である柳田誠二郎と美代子夫人、日航の役員たちや女医だった。唯一顔が認識できたのは、女優の千葉早智子だった。

居並ぶ試験官のまえに進むと、「スチュワーデスの仕事はこれこれこういうことだが、大丈夫か」とか、「住所は」などと型どおりの質問が浴びせられた。

最後の言葉は「近くご通知を」と言われ、退散する。

これで40人が選ばれ、その後さらに三次試験があるという。いったいどうなるか。政子には、しかし、不思議に三次試験に進める自信があった。