母に近寄っていたのは、心中相手の青年だけ
母親の肺結核は治ったわけではなく、第3期まで進行していたようで、祖母が病気の時に寝ていた納戸に、今度は母親が寝るようになりました。体の調子がいい時は外に出たり、炭焼き仕事をしている隣の家の青年(22歳)が遊びに来たりしていました。
そのうち母親はその青年とデキてしまい、それが父親にバレてしまい、父親と母親が大喧嘩になり、母親は家を飛び出したまま行方不明になりました。その8日後に、母親と隣の青年の死体が山の中で発見されます。鉱山で使っていたダイナマイトを爆発させて心中していたので、警察官や新聞記者も来る事件になりました。
肺結核は新型コロナウイルスのように、患者と話したり患者が触ったものに触ったりすると感染するので、母親が家に帰って来たことは、村人たちに歓迎されないことでした。近寄るとうつるので、みんな母親には近寄らなかったはずです。近寄っていたのは、心中相手の隣の家の青年だけでした。
母親のことは村中でひそひそと話題になり、ぼくや弟にも結核がうつっていると噂されていたようです。あそこの子どもと遊んだらいけないと親が言ったのか、親たちが話しているのを子どもが聞いて知ったのか、生徒の誰かが学校のみんなに、ぼくが肺病だと言いふらしたのです。(※)
ぼくが持ったバッドやグローブを、誰も触ろうとしない
そんなことは知らないぼくは、いつものように学校に行くと、みんながぼくを無視するのです。ぼくがいるのにいないふりをして、誰も話し掛けてくれません。そして、ぼくが何かに触ると、誰もそれを触ろうとしません。まるで自分が汚いものだと思われているようでした。どうしたらいいのかわからないので、休憩時間もただ自分の机に座っているだけでした。
体育の時間はいつもソフトボールをしていました。ぼくはソフトボールが好きだったのですが、体育の時間は休むことにしました。ぼくが持ったバッドやグローブを、誰も触ろうとしないからです。先生はぼくの体調が悪いと思ったようで、休んでも何も言いませんでした。みんなが楽しそうにソフトボールをしているのをチラチラ見ながら、ぼくは物陰でノートに絵を描いたり、みんなの悪口を書いたりしていました。
自分で言うのは恥ずかしいのですが、ぼくは運動が好きで明朗快活な子どもだったのに、ソフトボールだけでなく、それまでみんなでやっていたドッジボールやバレーボールも嫌いになり、いつも一人でいる暗い子どもになりました。