2017年の長女の七五三。右が両親の玲児さんとはるみさん

人んちの家族の時間を邪魔しないで

3歳違いの弟(料理家の栗原心平さん)はしっかり者で料理ができるようになるのも早く、夕食をつくってくれることもありました。というより、私がつくらせていたのか(笑)。本人も「家族のためにつくる料理が、自分の原点」と語っているみたいだから、結果オーライじゃないかな。いずれにせよ私たちきょうだいにとって、料理は子どもの頃から特別なものではなかったということです。

両親がメディアに出ていることは、いやおうなく意識してきました。家族でデパートへ行けば、「テレビで見てます」と声をかけられたり、「あれって娘?」とひそひそ声が聞こえてきたり。自慢に思うより、「人んちの家族の時間を邪魔しないで」とひねくれる感情のほうが強かったかもしれません。

親がそんなふうに頑張って働いてくれているから、その親を応援してくれる人がいるから、おいしいものが食べられて、居心地のいい家で暮らせる。でも子どもって、そういうことを考えないものですよね。少なくとも私は、ある程度の年齢になっても考えようとしませんでした。

中学は部活に夢中で勉強せず、高校は電車を3つも乗り換えないといけないくらい学校が遠くて、毎日遅刻。進路を決める三者面談で先生から「この出席日数じゃ卒業すら危ういぞ」と聞かされ、母はショックで泣き出し、私は「お母さんを泣かせるな」と怒られる始末です。父は大学だけは出るように言いましたが、「パリで服飾の勉強をする」と突っぱねて、ひとりで服飾専門学校の推薦入学を取りつけました。

なのに私、その学校を1年足らずでやめちゃうんですよ。アルバイトで始めたフリーペーパーの編集やライターの仕事が楽しくなって、「服は好きだけど、つくりたいわけじゃないんだな」って気づいたから(笑)。両親からはめちゃくちゃ怒られました。学費もバカにならなかっただろうに、「うちはお金あるでしょ」くらいにしか思わなかったんです。

いま、6歳の娘が「パパが遊んでくれない」と駄々をこねると、私は「パパが魚屋さんの仕事を頑張ってるから、昨日おいしいケーキが食べられたんだよ」と話します。夫は深夜に起きて市場に行きますから、夕方に寝なければなりません。だから我慢できることはさせないと。それに、そんなふうに親の、お金のありがたさをわかっていたら、私は毎日をダラダラ過ごさなかっただろう、といまになって思うから。

あの頃、いまの知識と経験があればもっと真剣に勉強したのに。将来こんな仕事をしたいとか、一生続けていける仕事はなんだろう、なんて一切考えない。その後も広告会社やアパレル会社でPRの仕事をしながら、パラサイト生活を満喫していました。