明日のことはわからない。だからこそ
大関の中では、やはり照ノ富士が気になりすぎる存在だ。
照ノ富士は、怪我と病気で大関から序二段まで落ちて復帰した。これは史上初のことだが、伝達式では、気合いの入った名文句は言わなかった。彼はわかっているのだ。立派な言葉を述べても、相撲の結果が良くなければ、何にもならないことを。
さらに、初めて大関になった頃にチヤホヤしてくれた人の中には、番付が落ちると離れていった人もいただろう。真の照ノ富士ファンは、大関だろうが序二段だろうが、応援するものだ。彼は自分にとって大切な人が誰かを知ったと思う。
良い時は集まり、悪くなると離れる、そういう人の冷たさを、私は父から学んだ。
私の父は他人の面倒を見るのが好きで、金銭的な援助までしていた。しかし、父が難病になり借金が膨らむと、今まで父にまとわりついていた人たちは去って行った。そして、難病で体が動かないのにオムツをするのを嫌がった父を、1日に36回もトイレに連れて行き介護したのは、父が「駄目な妻」と言っていた私の母だった。そして、借金返済に奔走したのは、「変な娘だ」と父が嘆いていた私だった。
照ノ富士は、膝の悪さを抱えながら相撲を取っている。しかし、いま元気な力士だって、突然怪我をすることがある。明日のことはわからない。
私は、初日の前日にNHK・BS1の「大相撲どすこい研」を、串刺しのみたらし団子を食べながら見ていた。優勝決定戦がテーマで、千代の富士が北の湖を破った一番を見て「やったあ」と言いながら、みたらし団子を食べようとしたら串の先で鼻の下を突っついてしまい、傷を作ったまま初日を迎えることになった。みたらし団子から怪我をすることだってあるのだ。
「明日のことはわからないけど、とりあえず前進」が、初日からの学びです。