しかし、何と言われても構わない。人がどう思おうと、私の人生は続くのだ。身の丈に合わないことをすれば何が待っているのかは、じゅうぶん身に沁みている。今もし、宝くじが当たって大金を手にしたとしても、舞い上がってとんでもない散財など絶対にしないという自信がある。ただ、残念だが宝くじを買う、その種銭が私にはない。

試算すると60歳の定年を迎えても、住宅ローンはまだ800万円ほど残る。これからどんどん歳をとっていく。不安にかられない日はない。

それでも、私には時間だけはある。心は穏やかで、梅の枝先の硬い蕾が、少しだけ膨らんだことにも気づく暮らし。安い旬の食材を、何通りかの副菜に料理して味わう余裕がある。図書館で借りた本を、ゆっくりと読むこともできる。

他人から見れば、「そんなことが?」と思われるかもしれない。でも、あの年月を経た私には、自分の足元にあるほんの小さなことが幸せだ。幼い頃からの心持ちや、苦しかった経営者としての日々が身につけさせてくれた節約術も、今につながっている。経験したことに、少しのムダもない。これからも地道に生きていくのみだ。

 

<電話口の筆者>

お金のやりくりにも悩まされましたが、「コンビニでのクレーム対応も相当ハードだった」という荻野さん。言いがかりのようなことも多く、精神的にダメージを受けたそうです。

「客としてコンビニに入るのも、いまだにためらいます。店の経営は人生勉強になりました」という言葉が印象的でした。

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