ここまで歩いてこられただけで、たいしたものだ
頭の上には果てしない空があって、足の下には地球があって、地面にはいろんな景色が広がっている。何するでもなく慌ただしく過ぎていく一日に、こんな贅沢な時間を持てたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。元気な自分の体にも感謝。体のどこかにちょっとした不調があるだけで、普段何気なくできていることがどれだけありがたいことか気づく。
ここまで歩いてこられただけで、たいしたものだ。ありがたいありがたい。何も期待しないで出かけても、放っておいてもさまざまなことに驚き、気づき、感謝でいっぱいな自分になっている。アタマの中のモヤモヤも束の間空っぽだ。
散歩しながら花や木の名前を少しずつ覚え、お気に入りの木に挨拶し、枝にとまっている鳥の姿かたちを必死で記憶する。うちに帰って図鑑で名前を調べるのだ。名前を覚えてもどうなるわけでもないのだが、友達と同じで、親しくなるために名前を知りたいと思う自然の欲求なのか。
こんなふうに平日の昼間に悠々と散歩している自分に、ふと、「いいのか?」と思うときもある。そして、何に対していいのか? と思うのか考えてみる。すると何に対してもそんなことを思わないでいいんだ、と結論が出る。
散歩をするときは、その時間を思いっきり享受すること。何も期待しないで出かけた散歩には、目に見えないおみやげでココロとカラダが満たされる。そして帰りの道すがら美味しそうなパン屋を発見し、いろいろ買ったりする。ほら、やっぱりマイバッグを持ってきてよかった。