おしゃべりな仲良し親子3人。左から大和田獏さん、美帆さん、岡江久美子さん(写真提供:大和田美帆さん)

父に譲った最後の面会

岡江さんは20年4月3日に発熱、4、5日様子を見るよう言われ自宅で療養に努めるも、容体が悪化し、即入院。ICUで人工呼吸器をつける直前、獏さんとメールで交わした「美帆に、大丈夫だから心配しないでと伝えて」が最後のやりとりになったという。

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母の入院後の経過は、父からの電話で聞いていました。父は濃厚接触者であると自分で判断し、母の入院後も誰にも会わずに自宅で一人、自主隔離の生活。私は食べ物や生活に必要なものを買って持っていき、父には会わず玄関先へ置いてくる。

いつ病院から連絡が入るかわからないので、父は、家のなかでも携帯電話を肌身離さず持ち歩いていたそうです。それがどんな時間だったのかと思うと、いま考えただけでも胸が痛くなります。

入院が長引くにつれて、ICUにいる母を励ましたいという気持ちが強くなっていきました。「メールで音声だけでも届けたい」「防護服を買ってでも会いに行こうよ」、そう父に頼んだけれど、父は、いま病院は大変な状態にある、さらに混乱させるようなことはするべきじゃない、と。私自身の当時の記憶はほとんど飛んでいて。悲しみよりも、こんなことが実際に起こるのかと、自分たちに降りかかったことを遠くから観察しているような状態でした。

母が息を引き取ったのは、4月23日の早朝。父と二人で病院へかけつけたかったけれど、感染予防のため、院内に入れるのは一人だけ。「パパはママの顔を見たい」。こう言われたら、娘としては「どうぞ」と言うしかありませんでしたね。

病院で、防護服を身につけた父は、全身を包まれて顔だけが見えるようになっていた母に対面し、触れることもできず、慟哭。10分ほどただ寄り添っていたそうです。