母に弱みを見せたくない
わたしは母にだけは、病気のことを知られなくなかった。だから極力マスコミにも知られないよう暮らした。
なぜ知られなくなかったのか。
弱みを見せたくなかったからかもしれないし、いろいろ心配されるのがわたしの負担だと思ったからかもしれないし、すでにリンパ腫を患っていた母の状態がさらに悪化するのを避けたかったのかもしれない。そのすべてかも、しれない。
だが、その問題と向き合う余裕はその時はなかったから、一旦横に置いておくことにした。
似鳥先生は、わたしの状況と気持ちを汲んで、できるだけ協力しますと言ってくれた。入院中の緊急連絡先は、会社のマネージャーさんにお願いした。
「そうだ、先生。仕事は退院したら行けるんですかね?」
「まあ、そうですね。退院して1週間くらいすればデスクワークなら大丈夫ですよ」
「デスクワーク!そういった仕事は、ないと思います」
「そうですよね。どれくらい、動く仕事かによりますよね」
「それが、行ってみないとわからないといいますか…。走り回るようなことはないと思いますが」
「走り回らないでください、急には」
「はい、再来週にね、いただいたお仕事がですね、闘う役でして。さっき台本読んだら。プロレスラーかな」
「プロレスラーですか!」
「元プロレスラーだから、そんなに動かないかも」
「どれくらいですかね?」
「どれくらいですかねえ?」
「青木さんもわからないんですか!」
「わからないんですよ、行ってみないと」
「そういうものなんですね」
「そういうものだと思うんですが、まあ、他のタレントさんはどうかわかりませんけどね。わたしは、行かないとわからないことが多くて、わからないんですよ、なんだか。なに喋ってるのかも、よくわからなくなっちゃいましたが」
「じゃあ、とにかく!二重に縫っておきますか!」
「手術の傷を? 二重に、すごい。それなら、闘っても大丈夫ですね」