イラスト:川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は、皆が使いたがる「普通」という言葉について。(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

「普通」の概念なんて、実は存在しない

言いたいことの枕詞に「普通は」をつけて、自分の発言に説得力を増したくなる時がある。「普通に考えてありえない」とか「普通は**だ」など。なるべく使わないように注意しているが、たまにポロッと出てしまう時がまだある。

なぜ「普通」を枕詞にしたくないのかと言えば、ついこの間まで万人に共通すると思われていた「普通」の概念なんて、実は存在しないことがわかったからだ。

私が子どもの頃には「両親が揃っているのが普通」なんて言葉が、それこそ普通に使われていた。その状態が「普通」となると、シングルペアレントの家は「異常」となってしまう。「両親が揃っていないなんて可哀相」という言葉を、いまよりずっと浅はかだった頃の私も使ったことがあるかもしれない。そういう不躾な言葉をどこかで耳にしたシングルペアレント家庭の親子は、どう感じただろうか。想像すると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。可哀相かどうかなんて、誰かにジャッジされるものではない。両親が揃っていたって、不幸な家はゴマンとある。

ざっくり言えば偏見だ。「女の敵は女」もそう。私も、若かりし頃には信じていた。女の足を引っ張るのは女だと。なぜか? そういうエンターテインメントが数多くあったからだ。現実社会をよくよく観察してみれば、足を引っ張る人間に性別は関係ない。ただ、女が女の足を引っ張った時だけ、「ほら、見たことがある景色だわ」と指差し確認ができるだけ。