テストの点が低いと、ベッドの下に隠して

ずっと、映画やドラマでお芝居をしたいと思っていました。まず名前と顔を知っていただこうと、「総理の孫タレント」として、バラエティ番組に出ることからスタート。

それを見た宮本亞門さんがミュージカルのオーディションに呼んでくださったのがきっかけで、ありがたいことに舞台のお仕事が続くようになりました。タイミングと縁があった今回の朝ドラで、ようやくドラマに辿り着けたという気持ちが大きいです。

出演を私以上に喜んでくれたのが、米国人である父方の祖母。去年亡くなったんですけど、第1週の撮影をしたときは存命で、「映像のお芝居はどう?」「何が難しいの?」といろいろ聞いてくれていたので、オンエアを観てほしかったなと思います。祖母はもともと舞台女優になりたかった人。仕事を定年まで勤めた後は地域のコミュニティ劇団でお芝居をしていました。

私が初めて舞台を観たのも、祖母が連れて行ってくれたブロードウェイのミュージカルです。そのときは、ミュージカルの舞台は歌とダンスと芝居のトレーニングを受けた特別な人たちだけが立てる場所で、自分にできるとも思っていませんでした。

私がお芝居の道に進んでから、祖母は舞台を観に日本まで来てくれたり、感想をブログに書いてくれたりして。お芝居の話をたくさんするようになって、祖母がさらに近く感じられましたね。

一方、母方の宮澤家には芸術系の人はいなくて、学問を大事にしている家族。祖父の喜一をはじめ母も姉も優秀でした。米国人の父は外交官として日本に赴任していたので、私たち一家は宮澤の祖父母と同居していました。

5つ上の姉は絵に描いたような優等生で、私は落ちこぼれ。テストの点が低いと、ベッドの下に隠したりしていました。たまたま90点とれたとき、祖父に「満点以外の点数があるの?」と言われたことも。勉強家で真面目だった祖父なりのジョークですが。(笑)

そんな宮澤家のなかで、自分らしくいられることって何だろうと悩み、コンプレックスみたいなものもうっすら感じていましたが、小学校で演劇部に入ったとき、「これだけは姉よりうまくできる」となぜか根拠のない自信を持ったんです。舞台では、自由に自分を表現できる。その頃から漠然と、歌やお芝居を生業にしたいと思うようになりました。