少なすぎても生きられない

一方、過疎状態もよくない。社会生活を営んでいる動物は、遺伝情報だけでは、生存に必要な知識を十分に得ることができない。サルを1匹だけ隔離して育ててやる。その後で、サルの集団の中に入れてやっても、このサルだけは、正常に性行為を営むことができない。あるいは、野山の植物の中から、食べられるものを選ぶといったこともできなくなってしまうのである。

高等動物ほど、遺伝情報より社会情報が重要な意味を持ってくる。人間が社会情報から全く隔絶された状態で育てられたらどうなるかについては、2、3の狼少年の実例の報告があるが、いずれもついに人間らしい人間に戻ることはできなかった。

カモシカは15匹以上いると、オオカミなどに襲われたときに、一団となって攻撃から身を守ろうとし、被害を最小限に食いとめることができる。ところが12、3匹以下だと、襲われたときにバラバラになって逃げだし、結局、片端からオオカミの餌食となってしまう。

また、チャドクガの幼虫は、ひと塊になってチャやツバキの葉を食べていく。ところが、これを2、3匹ずつ離して葉の上にはなしてやっても、葉をうまく食いちぎれなくて、飢え死にしてしまう。

 

集団を作ることで得られる利益

動物が集団を作ることによって得られる利益はいろいろある。共同で食物を求める、敵から身を守るといったことのほかに、思いがけない相利作用がいろいろあるのである。

たとえば、水銀コロイド溶液の中に金魚を入れて、何分で死ぬかをはかってみる。金魚を10匹入れたのと、1匹入れたのとでは、他の条件を同じにしておいても驚くほどちがう。10匹のほうは平均597分、1匹のほうはわずかに182分なのである。これは金魚の体表から出る分泌粘液が毒物を吸着するためで、10匹入れたほうは、そのおかげで毒性がかなり緩和されるのである。