最期をどう生きたいか考えておく
私は在宅看護・介護を支援する立場ですが、亡くなるのが家であっても施設であっても、その方らしい人生の終わりを迎えられると思っています。大切なのは、できるかぎり自分の意志で決めること。これまでの人生でも自分で物事を決めてきた経験の長いおひとりさまは、人生の最後にも自分らしい決断ができるのだと自信を持っていただきたいと思います。
それは延命治療を受けるかどうかなど、「リビング・ウィル(生前の意思)」を表明するときにも力になるでしょう。
訪問看護の仕事を始めてすぐの頃に、忘れがたい印象を残した女性がいます。Bさんはがんの末期でしたが、治療を受けていた病院の待ち時間が長いこと、外来では担当医が替わることで「最後にやりたいことがあるので、痛みのコントロールをしてくれる医師を紹介してほしい」という相談を持ちかけてこられました。
ご自宅でお話を聞いていた私は、その場で緩和ケアの医師に連絡し、翌日にBさんの予約を取ってもらいました。その瞬間、それまで暗く固まっていたBさんの顔が、ぱあっと明るくなったのを覚えています。Bさんは病院で腹部に痛み止めの薬剤を入れるためのポンプを付け、自分で交換する方法などを覚えた後に自宅へ戻りました。そして希望していた北海道旅行を実現したのです。
最後は「オーロラの見える北欧の海に散骨してほしい」という希望も、親しかった叔母さんの手で叶えました。Bさんが旅行先の北海道から送ってくれた絵葉書は、今も私の宝物です。
ひとり暮らしをしながら折り紙と茶道の先生として生きてこられた60代のCさんは、末期がんで余命宣告を受け、「最期は家で迎えたい」と自宅に戻り、私たちのセンターから若いスタッフナースが付き添い看護に入りました。
主治医から言われた「あと何日」という期限を数日過ぎたあたりからCさんは急激に衰弱しました。部屋の明かりも点けずにじっと横になることが増えたのです。そこで「私は鶴を折るのがやっとなので、Cさんが折った作品が見たい」と伝えました。
ナースによればCさんは電話を切るや紅白の折り紙を取り出すと、布団の上に正座して見事な連獅子を折り上げ、私にくださいました。〈私は生きている〉とCさんは教えてくれたのです。その後は、支えられながらもご自分でトイレに行くほどの気力を保ちながら最期を迎えられました。
「おひとりさまで大往生」を実現するには、多くの選択や決断を必要とします。しかしそれは、自分らしく生き、自分らしく逝くための大切なステップでもあるのです。元気なうちから少しずつ準備を始めませんか。