姑が亡くなり金銭感覚のタガが外れて

姑が存命のころ、お金はすべて姑が管理していて、舅は出かけるたびに1000円、2000円と小遣いをもらっていた。姑は、「お父さんは、お金を持つとすべて機械の道具に使ってしまうから」と話していた。

当時はわからなかったが、今なら理解できる。食料品や服などには一切興味がなく、注意していないと穴の開いた服で出かけてしまうような無頓着さなのに、チェーンソーや削岩機は躊躇なく買う。

おそらく、2年前に姑が亡くなって舅の金銭感覚のタガが外れたのだろう。通販も使いこなし、さまざまなサプリや栄養ドリンクが定期購入で送られてくる。新しいチラシやカタログもどんどん送られてくるので、また新しいものを買う。舅なりに一生懸命、経済を回してくれているのだ。

しかし悪いことばかりではない。孫たちへのお祝いや小遣いも大盤振る舞いするようになった。今まで姑がいくら渡していたか聞いておらず、だからと言って私たちに相談するという発想もない。自己判断で用意したところ、今までとは桁違いの金額になっている。孫たちは当然、大喜びだ。こんなに多くていいの? と思いつつもそれを舅に伝える野暮な孫はいない。

先日、我が家にアレクサがやってきた。好奇心旺盛な舅は、孫が使っているのを見て興味津々。すぐに孫に使い方を教えてもらい、今では、地元民謡の「八木節」や五木ひろしの「千曲川」、美空ひばりなどお気に入りの曲を聴いたり、天気予報を教えてもらったり、スマートスピーカーをすっかり使いこなしている。

舅を観察していると、あまり周りを気にせず、マイペースでいること、いつまでも好奇心旺盛であること、環境の変化に順応性があること、そのいずれもが、長寿の秘訣だと感じる。御年88歳、介護保険のお世話にもならず、自分の身のまわりのことを自分でできる自立ぶりは、あっぱれとしか言いようがない。

 


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