ご近所づきあいは「気遣いの関係」に
ところが、現代のご近所づきあいは一転して「気遣いの関係」になってしまったのです。その大きな要因は経済的な格差への懸念です。
たとえば、庭でバーベキューをやりたいが、いい匂いがご近所にただようと、ご近所の子どもたちが「うちもやりたいよ」と言い出し、迷惑なことになるのではと思うのです。ご近所の井戸端会議も同様で、たがいに相手の家の事情には踏み込まないように気遣っています。醤油でなくて「お金貸してくださーい」と言ってこられても困るからなのです。これではご近所づきあいが嫌になるのも、当然ですね。
ちなみに狩猟採集時代であれば、「貯蓄」という概念がなく、貧富の差もありませんでしたから、仲間内では平等が基本。そうした狩猟採集時代の仲間意識は変わらないのに、分ける対象が獲物からお金に変わってしまった。だからこそ、ご近所づきあいが嫌になるという、皮肉な関係なのです。
アメリカにおけるホームパーティの役割とは
これをうまくやっているのが、アメリカでよく行われているホームパーティです。
「今日はうちの庭でバーベキューをやるから誰でも来ていいよ」とご近所にアナウンスします。参加者はおのおの食べ物を持ち寄ります。肉が買えない家の子は、たとえば手作りのお菓子を持って行けばいい。仮に手ぶらで行っても「次はうちで新作映画の上映会やるから来て」と言えばいいのです。
もちろん、ホームパーティに参加できないときは行きません。招くほうも、来てもらうこと自体が目的ではなく、オープンに開催することが目的なので、「何か来られない事情があったのだろう」と思うだけです。「行かないと『あいつはうちを嫌っているな』と思われる」など、過剰な深読みは不要なのです。
こうしてみると、ご近所づきあいを気にするのも、文化的な変遷のせいですね。