「イエスの方舟」を題材にしたビートたけし主演のドラマ(TBS)。昭和60年度文化庁芸術祭芸術作品賞受賞

70年代後半に起きた「イエスの方舟」事件

「イエスの方舟」とは、千石剛賢さんを中心として、聖書を研究しながら集団生活していた団体のことです。

「イエスの方舟」事件が起きたのは70年代の後半でした。その頃「イエスの方舟」は、国分寺市の空き地に建てたトタン板で周りを覆ったテントで集会を開いていて、その集会に参加した娘さん数人が家に帰らなくなり、親たちが騒ぎだしたのです。

当時、「イエスの方舟」の会員は、女性22人、男性4人で、テントで共同生活していました。お茶や海苔の訪問販売や刃物研ぎで生計を立て、聖書の勉強会に人々を誘っていました。世間の目から見れば、怪しい宗教団体のように見えたかもしれません。

そういう不審感もあったと思うのですが、親達は娘が「イエスの方舟」にさらわれたと思い込み、「娘を返せ!!」と「イエスの方舟」のテントに連日押しかけるようになります。そんな騒ぎが続くなか、1978年5月、「イエスの方舟」は忽然と消えてしまいます。

「イエスの方舟」のことをマスコミが取り上げるようになったのは、『婦人公論』1980年1月号に、立川市の主婦の手記「千石イエスよ、わが娘を返せ」が掲載されてからのことです。その手記のリードには「十数名もの若い女が一人の男のもとで共同生活する奇怪な宗教集団に、高校在学中の娘を奪われて」と書かれています。マスコミのネタとして格好の材料だったのです。

すぐに週刊誌が、「イエスの方舟」は若い女性達を洗脳して逃げられなくしているとか、千石イエスのハーレムだとか、現代の神隠しだとか書き立て、テレビのワイドショーでも取り上げられるようになりました。ぼくが「イエスの方舟」に関心を持ったのも、「ハーレム」という言葉からでした。週刊誌に載った下世話な記事に興味を持ったのです。

そして、『サンデー毎日』の「総力スクープ・イエスの方舟」という記事によって、「イエスの方舟」が世間に姿を現すことになります。「イエスの方舟」は、国分寺から西へ転々と流浪し、福岡に定住していました。『サンデー毎日』がそれを突き止め、千石剛賢さんのインタビュー、集団生活していた女性達の手記、親子の再会ドキュメントなど、シリーズで5、6回掲載していたと思います。

それを読んで、それまでマスコミが報道していたことはほとんど作り話で、本当は真面目に聖書を研究している人達というか、命がけで聖書を支えに生きている人達だということがわかりました。だから娘さん達は欺瞞だらけの家には帰れなかったのです。ぼくのなかでの「ハーレム」幻想も、その時点で消えてしまいました。