母の望む進路を取らなかった多くの「自立した娘」

子ども──特に、娘に対し、その「自立」を望みながら、自分の近くから離れないでほしいと「自立しない」ことを望む。正反対の二つの気持ちが、おそらく、世の中の多くの親──特に母親たちの中にある。

近くにいれば育児や家事を手伝える、自分と同じような仕事を選べばアドバイスができる。子どもによかれと思って「自分と同じ道」を望む気持ちが親にはある。逆に、知らない土地で子どもが暮らすこと、自分によくわからない仕事につくことの方には不安がある。不安だから、時に「心配」という言葉で子どもの選択を狭めてしまったりもする。

遠まわしな言葉と意思表示で「遠くへ行かないでほしい」と伝える両親の気持ちに、私はできるだけ気づかないふりをして、親元を離れた。私のその選択を、さみしく思いつつも表立っては反対せず、送り出してくれた両親には感謝している。しかし、私の中には今も罪悪感のような思いが燻り続けている。私のことを「立派なお嬢さん」と呼ぶ母の友人が、故郷に残った子どもと同居していることの方こそを、私の母は望んでいたのかもしれない。

私に限らず、母親とは違う人生を歩み、母の望む進路を取らなかった多くの「自立した娘」が、この感覚を持っているはずだ。

 

『青空と逃げる』(著:辻村深月/中公文庫)

この春、『青空と逃げる』という本を刊行した。ある事情があって東京を追われた親子2人の逃避行の物語で、主人公は、38歳の母親・早苗と、小学5年生の息子・力。2人の目線で交互に描いている。

3年前〔編集部注:2015年〕、『読売新聞』で連載が始まった時には年上だった早苗と私は、今、同じ年だ。当時まだ保育園の年少さんだった私の息子も、この春には小学生。他人事のように思っていた彼女たち親子に、著者の私生活が追いついた。

刊行に際し、原稿を読み返すと、自分が彼女たち親子をどうしたかったのか、どこにつれていきたかったのかが、今になってはっきり見えてくる。