親の中にある2つの思いと、それに気づいた娘が抱く罪悪感。小説家の辻村深月さんが、自身の親子関係を振り返りつつ、親子を描いた著書『青空と逃げる』に込めた想いを綴る(2018年寄稿のエッセイを再掲)
私はおそらく、「母の望む娘」ではなかった
社会的に見れば、私は、親から「自立している」娘ということになるのだろう。
故郷の山梨を大学進学のために一度離れ、就職を機に再び山梨へ。その後、地元でOLをしながら書いた小説で賞をとり、退職して専業作家に。今は山梨を離れ、東京で結婚し、2人の子どもがいる。経済的に親を頼ることはほとんどないし、時折子どもの面倒は見てもらうものの、基本的には親とは別れて暮らしている。世の中ではおそらくこの状態を「自立」と呼ぶ。
私の本を書店で見かけた母の友人などは、母に「立派なお嬢さんですね」と声をかけてくれたりもするようだが、そういう話を聞くたびに、私は、はてそれはどうだろうか、と思う。
なぜなら、私は、自分が母にこうなることを望まれたとはまったく思えないからだ。私はおそらく、「母の望む娘」ではなかった。
県外に進学する際、私は父から「県内の大学じゃダメなのか」と聞かれた。正確には「お父さんにそう聞かれたよ」と母が私に言ってきて、つまりそれは両親に共通していた思いのようだった。経済的な理由というよりは、娘が家を出ていくさみしさがそう言わせたのだと思う。そして、これは、多くの親の本音なのかもしれない。