母が認知症に。「もう少し早く親孝行しておけば」
小倉 僕は自分が順調に稼げるようになってきた時、母に「仕事、もうやめたら?」と言ったんです。心臓に持病もあったので。でも、「病院ならいつ倒れても平気だから」と80歳まで勤めあげた。
青木 すごいですね。
小倉 看護師をやめたら張りつめていたものがなくなっちゃって、認知症も進んで施設に入ったの。僕は施設代とか、お袋のぶんのお金は全部払ってはいたんだけど、認知症だし、母はわからなかったと思う。もう少し早く親孝行できればよかったなって思いますよ。
青木 私は父との最後の会話が言い争いになってしまい、後悔として残っていますね。娘のことで「お前の育て方が悪い」って言われてカッとなり、「私には何もしてくれなかったのに、口を出さないで」と言ってしまった。父はその後倒れて、会えた時にはもう話せる状態ではなく……。それもあって、仲の悪かった母とは、なんとか和解しようと思ったのもあります。
小倉 間に合ってよかったね。僕の場合は自分がどん底の時代に父親に死なれて、死に目にも会えなかったものだから、悔やみきれない後悔がある。お金がなくて借金だらけの頃の大晦日、住んでいたアパートに帰ったら小さな重箱と缶ビールの入った袋がドアにかけられてたんです。手紙も入っていました。「お前がうちを訪ねて来られない理由はわかっている。でも正月くらいは、その気分を感じて改まった気持ちで新年を迎えなさい。母さんの作ったお節だよ」と書かれてて。一人で泣きました。
青木 ……そうですか。