その後、東京医科歯科大学で英語を教える傍ら、縁あって現代演劇の翻訳や劇評を手掛けるように。仕事は充実していったけれど、私生活はハチャメチャに忙しかった(笑)。30~40代は二人の子どもを育てながら、病に倒れた弟を看病したり、認知症になった義母を3年間自宅で介護したりもしました。

あまりの忙しさを見かねた夫から、「どれかひとつでもやめることはできないのか!?」と言われ、ぶつかり合ったこともあります。そういえば、仕事で海外に出かける直前、夫から「行くな」と言われて大喧嘩したことも。この時は、帰国したら離婚だっ! という気持ちで家を出て。(笑)

父と義母を相次いで見送った時、私は48歳。子どもたちは大学生と高校生になっていました。不思議なもので、その頃からシェイクスピアが私に近づいてきました。演出家の串田和美さんが、シアターコクーンで自身が演出する『夏の夜の夢』を、私の新訳でやりたいと声をかけてくれたのです。

お受けするべきか迷っている時、パーティでかの小田島雄志さんにお会いして――。どうしましょうと相談すると、「松岡和子の『夏の夜の夢』を作ればいいんだよ」。その一言に背中を押され、お引き受けしました。もちろんその時は、全作品を訳すことになるとは思ってもいません。

同時期に東京グローブ座からも『間違いの喜劇』の翻訳依頼がありました。その後、筑摩書房から「全集」にしませんかとありがたいお話が。そして蜷川幸雄さんからは、「彩の国さいたま芸術劇場で、僕が芸術監督になってシェイクスピア全作品を上演することになった。ぜんぶ松岡さんの訳でやるからね」――。もう、これは運命だと思い、武者震いしました。

 

疲れないし眠くならない

私の場合、ありがたいことに舞台上演が決まってから翻訳に取り掛かるのですが、それはつまり、上演スケジュールに合わせて仕事をしなければならないということ。自分の都合で翻訳を休むわけにはいきません。

全作品に取り組むには大学と二足の草鞋では無理だと思い、定年を待たずに退職を決めたのが55歳の時。定収入はなくなりましたが、気分は最高でした(笑)。だって子どもたちはもう手を離れているし、夫は週末だけ東京に戻り、平日は単身赴任。「すべての時間が私のもの!」と浮かれていたんでしょうね、来るオファーをすべて受けていたんです。