もっとも、室町期の弁慶は相手の女装でうっとりとは、していない。美貌にときめいたりもしなかった。『義経記』や『橋弁慶』の弁慶は、ただためらっただけである。『弁慶物語』の場合は、そういう反応さえしめしていない。

弁慶は義経の美しさに、魂をうばわれた。そんな解釈が浮上しだすのは、江戸時代のなかごろになってからである。

ねんのため、のべておく。『弁慶物語』には、いくつかの写本がある。その多くを、私は読んでいない。ただ、江戸初期のいわゆる元和写本は活字化されており、目をとおすことができた。元和7年、1621年の写本である。

こちらには、室町期の同じ作品と、趣向のちがうところがある。たとえば、弁慶が義経の美しさに賛嘆をおしまぬくだりも、新しく挿入されていた。

「東の源九郎義経成共、是程いつくしき事は、よもあらし」(『室町時代物語大成 第12』1984年)。あそこに、美しい少年がいる。でも、義経は東国の人である。あんなにかわいいわけがないという。だが、じっさいには、その美少年こそが義経であった。物語は弁慶のひとりごとで、義経の美しさを読み手につたえようとする。

同じ『弁慶物語』が、17世紀前半の写本では、義経像をかえている。あるいは、弁慶のいだく義経観を、変更させていた。義経の美貌では、強く心をゆさぶられるようになっている。

だが、17世紀初頭の弁慶は、まだ義経に恋心をいだいていない。そういう同性愛めいた感情がとりざたされるのは、もう少しあとになってからである。ともかくも、室町時代の弁慶に義経愛のゲイ的な心模様を読みとくのは、困難である。

とはいえ、室町期の義経が、男心をそそらなかったわけでは、けっしてない。『義経記』には、そのことを強くしのばせる記述もある。弁慶との出会いからははなれるが、つぎにそちらへ目をむけよう。