弁慶をとまどわせる作戦か、からかういたずらか
さて、『義経記』である。物語の義経は、五条天神で弁慶とであい、武芸のほどを察知した。自分より腕はおとるだろう。それでも、なかなかの使い手だと、見ぬいている。さらに、あいつなら家来にしてもいいと考えた。そう想いをめぐらせだした時に、ふたたび清水寺で弁慶を見かけている。
そのすぐ後なのである。義経が、わざわざ女になりすまして、弁慶のそばへ歩みよったのは。「只今までは男にておはしつるが、女の装束にて衣(きぬ)打被(かず)き居給ひ」。『義経記』には、そうある(『岩波文庫』1939年)。弁慶をとまどわせる作戦ではあった。あるいは、相手をからかういたずらか。
『橋弁慶』は、五条橋で弁慶とやりあう相手を、牛若の名で登場させている。牛若丸にはしていない。このころは、まだ牛若のほうが一般的だった。いずれにせよ、『橋弁慶』は、弁慶を元服前の少年と対峙させている。
その設定は、元服後の義経にむきあわせた『義経記』とくいちがう。ただ、『橋弁慶』も牛若には、以下のとおり女装をさせていた。その点は、『義経記』と、かわらない。
橋の上で、『橋弁慶』の牛若は弁慶を見かけた。そのあとすぐ、「薄衣(うすぎぬ)猶(なほ)も引き被き。傍(かたわら)に寄り添ひ佇(たたず)」んでいる(『謡曲大観 第四巻』1931年)。女装をしたまま、弁慶のそばへよりそったという。うろたえる相手をながめながら、牛若はほくそえむ。「かれをなぶって見ん」、と(同前)。
義経を女装者にしたてたのは、室町時代の物語作者たち
『弁慶物語』で、両者がはじめて対面したのは北野天満宮である。その時義経は、御曹子や牛若としるされた箇所もあるが、やはり女の姿になっていた。「薄衣取ってうちかつ」ぐ姿で、弁慶とは対面しあっている(前掲『新日本古典文学大系 55』)。
ただし、物語の弁慶は、あまり動揺していない。逆に、あれこそ「音に聞く牛若殿にてあるらん」と、気づいている(同前)。その点で、『義経記』や『橋弁慶』とは、ことなるところがある。
しかし、『弁慶物語』も義経を女装者にしたてていた。そして、今紹介した三作品より前に、彼へそんな人物像をあてがった文芸はない。先行する『平家物語』や『源平盛衰記』は、そういうふうにえがいてこなかった。被衣(かつぎ)、つまり女性の外出着を身につけ、往来を歩く。義経をそんな人物にしてしまったのは、室町時代の物語作者たちなのである。