美少年の髪をそってしまうのは、かわいそうだ
義経がおさないころに鞍馬寺で修行をしたという話は、よく知られる。史実かどうかはわからないが、そういうことになっている。『義経記』も、牛若が鞍馬寺に学んだことは、大きくとりあげた。
寺で牛若の身元をひきうけたのは、東光坊の阿闍梨(あじゃり)である。そして、東光坊は彼の向学心や美貌に感心した。「学問の精(せい)と申し、心ざま眉目容(みめかたち)類(るゐ)なくおはしければ」、と(前掲『岩波文庫』)。
そんな牛若も物心がつき、自身の出自を認識するようになっていく。源氏の嫡流という自覚も、できた。平家打倒の意欲もたかぶらせる。武術の稽古にも、かくれてはげみだした。
それに気づいた東光坊は、牛若を受戒させ、正式に仏門へいれようとする。あの子を、剣の道へすすませてはいけない。すぐにでも、頭をそらせよう。同僚の寺僧たちにも、そうふれまわった。
この提案を聞かされ、良智坊の阿闍梨は、鞍馬寺の同僚だが、言いかえす。「容顔世に超えておはすれば、今年の受戒いたはしくこそおはすれ。明年の春の頃剃り参らさせ給へ」、と(同前)。
あんな美少年の髪をそってしまうのは、かわいそうだ。せめて、来年の春まで、その時期をのばせないかと、こたえている。だが、東光坊は、この反論をうけいれない。当初の方針どおり、牛若の受戒をいそがせようとする。
ただ、良智坊の応答を、全面的には否定していない。以下のように、いっぽうでは共鳴の意もあらわしている。
「誰も御名残(おんなごり)はさこそと思ひ候(そうら)へども……」(同前)。美しい牛若の毛をそるのは、たしかにいたわしい。寺の誰もが、そう思っている。そのことをみとめたうえで、なお東光坊は良智坊をさとそうとする。やはり、剃髪はいそがねばならない、と。
みんな、牛若の美貌をおしんでいた。あれほどきれいな子を、今僧侶にするのはもったいないと感じている。この想いは受戒に急な東光坊でさえ、わかちあっていたのである。