僧侶たちからあこがれられ、天狗に熱愛をつげられ

かつての寺院には、女人禁制という戒律があった。そのため、僧侶たちの性愛は寺の稚児(ちご)へむかうようになる。寺がかかえる、髪はまだそらない少年たちを、しばしばその対象にした。だが、そんな少年たちも十歳台のなかばすぎには元服する。髪をそり、本格的に僧侶となる途を歩みだす。

ただ、容貌にひいでた稚児は、しばしばその時期がおくらされた。美少年の場合は、髪の長い期間が延長されやすくなる。美しい稚児姿がなごりおしい。もう少し、かわいがりつづけたいという思惑が、優先された。

こうした事情で受戒の遅延がみとめられた稚児を、大稚児(おおちご)という。そして、『義経記』の牛若には、そうなってほしいという期待がよせられていた。いわゆる男色の、アイドルめいた輿望を、牛若はになっていたのである。

寺院の少年たちは、しばしば男色の相手をさせられた。師にあたる僧から愛されている。しかし、『義経記』は牛若を、そういう一般的な稚児としてえがかない。愛される度合いがより強い、大稚児の可能性も秘めた美少年として、登場させていた。

鞍馬山で、牛若は天狗から武術をまなんだとする伝承がある。この話も、室町時代に形成された。もちろん、フィクションである。だが、能や幸若舞(こうわかまい)、そして御伽草子などに、そうしるしたものはある。なかでも、能の『鞍馬天狗』は、両者のかかわりに焦点をあてた作品として知られる。いっぱんには、宮増の作だとされている。世阿弥が書いたとする説もある。それらの当否はわからない。

興味深いのは、劇中の大天狗が牛若に恋の告白をしているところである。

「能面/大癋見」(室町時代・15~16世紀、木造、彩色)『鞍馬天狗(くらまてんぐ)』では、牛若丸の守護を約束する天狗の役に用いる。 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/C-25?locale=ja

自分は、もう年老いた。あなたを想うことも、物笑いの種になるだろう。でも、老人だというだけで、邪険にはしてくれるな。まだ、あなたとは、それほどしたしくなれていない。だが、恋心はつのる。それが、くやしい。「馴(な)れはまさらで恋のまさらん悔しさよ」(『謡曲大観 第2巻』1930年)。老天狗は、そう牛若にうちあけていた。

『義経記』では、僧侶たちからあこがれられている。『鞍馬天狗』では、天狗に熱愛をつげられた。室町文芸は、牛若を男色文化の花形へと、つくりかえていく。

この時代が浮上させたのは、女装者としてのキャラクターだけにかぎらない。男色方面でも、新しい人物造形はほどこされていくのである。

※次回の配信は8月25日(水)予定です

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