鏡の宿で盗賊におそわれる

こうして、遮那王は鞍馬を出奔した。吉次につれられ、東国へむかっていく。そのとちゅう、瀬田の唐橋をこえたところで、彼らは宿をとる。遊女たちもすまう、鏡の宿というところに投宿した。宿の主人は遮那王の美しさにおどろき、吉次へつげている。

あなたは、よくここへとまってくれる。だが、「是程美(いつく)しき児(ちご)具し奉りたる事、是ぞ初なり」(同前)。これほどきれいな子といっしょにたちよったのは、はじめてだ。あれは、いったい誰なのか。そういぶかしがっている。

このように、『義経記』は、随所で牛若、遮那王の美貌を書きたてた。なかでも、きわだつのは、鏡の宿で盗賊におそわれた時の描写である。

吉次一行の滞在は、あたりの野盗をざわつかせた。金目の品々を、たくさんもちはこんでいるとみなされたからである。盗賊たちはチームをつくり、夜陰にまぎれ宿のなかへおしいった。

稚児姿のまま寝ている遮那王のそばも、とおっている。だが、この少年をおそおうとはしていない。彼らは遮那王を、吉次一行のひとりだと思わなかった。たいそう美しかったので、宿の遊女だと判断したのである。

窃盗団の脳裏へ、その時うかんだ想いを、『義経記』はつぎのように表現する。

「玄宗皇帝の代なりせば、楊貴妃とも謂(いひ)つ(べ)し。漢の武帝の時ならば、李夫人かとも疑ふべし。傾城と心得て、屏風に押纏ひてぞ通りける」(同前)。楊貴妃など中国を代表する歴史上の美女に、彼らは目前の少年をなぞらえた。そのうえで、遊女のひとりだと見あやまり、寝たままにさせておく。

ほかにも、彼らは松浦佐用姫(まつらさよひめ)へ、想いをはせている。『万葉集』にうたわれた美しい姿を、脳裏へよぎらせた。野盗にしては教養のありすぎるところが、やや気になる。しかし、そこは問うまい。とにかく、彼らは和漢の代表的な美女たちを、遮那王の寝姿で想起した。

「『賢女烈婦伝』松浦佐用姫」(歌川国芳・画)
Image via The British Library