色白だが、歯はでていた

武勲のある義経を、兄の源頼朝はうたがった。謀叛(むほん)をおこすかもしれない、と。のみならず、その追討にもふみきっている。各地関所へは、その人相がしめされた手配書をとどけていた。

『義経記』によれば、愛発(あらち)の山でも関所の小屋がこしらえられたという。そして、関守たちはあやしい通行者を、かたっぱしからひっとらえた。人相書のつたえる「色も白く向歯(むかば)の反りたる」者たちを、捕縛している(同前)。

向歯という言葉は、上の前歯をさしていた。それが「反(そ)りたる」男は、うたがわしい。義経である可能性がある。そう手配書にはしるされていた。つまり、義経は出っ歯だったというのである。話の前半では、圧倒的な美少年だったはずなのに。

色白だが、歯はでていた。この書きぶりは、『義経記』より古い軍記物に、よく見かける。たとえば、『平家物語』にもそうある。

月岡芳年が描いた壇ノ浦の合戦の様子 ‘The Naval Battle of Dannoura in the Reign of Antoku, Eightieth Emperor’ by Tsukioka Yoshitoshi
Image via Los Angels Country Museum of Art 

平家は、1185年に壇ノ浦の合戦で、義経がひきいた軍勢に敗北した。そのクライマックスをむかえる前に、平家の将兵は語りあっている。敵をひきいる義経は、どんなやつなんだ、と。そのおりに、義経の評判を知る越中次郎兵衛は、こう同僚へつたえていた。

「色しろう、せいちいさきが、むかばのことにさし出でて、しるかんなるぞ」(岩波文庫 1939年)。色白で背はひくく、出っ歯がひどくて、すぐそれとわかる男だ、と。『平家物語』は、これ以外のところで、義経の容姿に言及していない。「むかば」が「ことにさし出て」いる。この古典は、以上のようにしか義経の顔を語らなかった。

『源平盛衰記』にも、越中次郎兵衛の発言は、おさめられている。「面長うして身短く、色白うして歯でたり」、と(『新定源平盛衰記 第六巻』1991年)。同じように、出っ歯であったという。『義経記』に先行する軍記の代表的な二編は、どちらもそう書いている。